なつっこいね、にゃんにゃん

KAT-TUNについて語る。

映画「美しい星」を観て

ぽかーん。映画を観終わったあとの表情である。ストーリーや映像表現の余韻に浸れるような、心にそんな余白を残す終わり方だったように思う。明快な起承転結による満足感はない。解釈や感情の着地点をエンドロールが終わるまでに探さなければーーー。観客が皆、そう考えていたのだろうか。誰も途中退席しない終焉は、とても静かなものだった。満たされない脳内で、まるでテストの解答欄を埋めるかのように、ああでもないこうでもないと一人思考する楽しさは、この映画を観た者しかきっと味わえないだろう。

 

それぞれの解釈に委ねられた本作品。映画を観て、感じたこと・考えたこと・想像したことを備忘録として、気持ちが新鮮なうちに残しておこうと思う。

 

※※以下、ネタバレあり※※

 

■映画「美しい星」あらすじ

三島由紀夫が50年以上前に発表した異色のSF長編小説を、「桐島、部活やめるってよ」や「紙の月」などでメガホンをとった吉田大八監督が現代版にアップデートし、我々地球人の五感を覚醒させ鳴り響かせる人間賛歌ーーー。

ある日突然、宇宙人として覚醒した大杉一家。“美しい星・地球”を救うために、それぞれに託された使命を全うするべく奔走し、時に傷つき、世間を巻き込みながら奮闘する。なぜ、彼らは目覚めたのか。地球は本当に救う価値があるのか。宇宙人一家が巻き起こす悲喜劇は、地球人である我々の心に何をもたらすのか。

 

■宇宙人への覚醒

本当に覚醒したのか、ただの思い込みなのか、その問題については一旦置いておく。きっかけとして、今まで自分の中になかった“何か”が取り込まれたことで、覚醒が起こったのではないかと推測する。

当たらない気象予報士として有名な父・重一郎。目の前に現れた円盤が発する眩い光に包まれ、“火星人”として覚醒した。メッセンジャーのアルバイトに明け暮れるフリーターの息子・一雄は、プラネタリウムでスクリーンを飛び出し眼前に迫る母星を観て“水星人”に。周囲を引かせてしまうほどの美貌を持つ大学生の娘・暁子は、光る円盤の飛来を目の当たりにして“金星人”となった。

この覚醒のタイミングで、各々にもたらされたものとは何か。重一郎は徐々に自らの体を蝕んでいく病魔が顔を出し、不調を来すようになっていた。一雄は政界へのコネクションと野心を手に入れた。暁子は、無意識であるとはいえ、男性を受け入れ生命を宿した。この体内や環境の変化が、宇宙人への覚醒を誘発したのではないだろうか。

地球人のまま覚醒しなかった母・伊余子も、同じタイミングで水ビジネスに目覚めている。金儲けの欲に駆られているようにも見えるが、根底にあるのは、「体にいいものを飲んでほしい」・「またみんなで海外旅行がしたい」のような家族を思う気持ちだった。新しく芽生えた気持ちではなく、伊余子がずっと大事にしてきた気持ちが増幅しただけなので、一家でただ一人覚醒しなかったのかもしれない。

 

■母星の存在意義

一雄は、後輩が定職に就いて立派に社会人として貢献している姿を見て、劣等感を抱いた。もしかしたら、本当にプロ野球選手を目指していたのかもしれない。挫折して、フリーターを続けている自分に、こんなはずじゃなかったのにと憤りを覚える日々。そんな中、“水星人”として覚醒し、今まで劣等感を抱いていた人間を高いところから見下ろすことができるようになって、優越感に浸った。地球人ができない決断を自分がするのだ。その確約された未来のために、今までの挫折があったのだ。政界との繋がりを得るためにメッセンジャーを続けていたのだ。だって自分は“水星人”だからーーー。そう思うことで、承認欲求を満たし、自分を保っていたのかもしれない。

自分の知らないうちに乱暴され、妊娠までしてしまった。悲しみ、嘆き、怒り、落ち込み、悩み、苦しみ、動揺し、様々な感情に飲み込まれてもおかしくない状況。しかし、“金星人”に覚醒した暁子は、真実を知ってもそれを受け入れ平然としている。自分は“金星人”だから大丈夫だと言い聞かせてーーー。自分が周囲を引かせるほどの美しさを持っていることも、美しさを後ろめたく思うことも、それによって人間関係が上手く築けないことも、自分のせいじゃない。“金星人”のせいだと思って全て諦められた。

末期のステージ4の胃癌で、余命一か月の重一郎。宣告される前から、無意識のうちに死を予感していて、恐怖心が芽生えていたのかもしれない。病魔に侵されているのは“地球人”としての自分の体で、“火星人”としての自分の魂は死なないーーー。死と向き合い、受け入れるために用意された母星の存在。“地球人”として死を迎えても、母星に帰るだけだ。だから、ラストシーンの火星に帰る映像は、天に召された重一郎が最期に自分を安心させるために想像した心象風景だったんじゃないだろうか。

心の拠り所として、母星の存在が必要だったのだ。

 

■地球人への覚醒

家族がバラバラなことも、母星が異なるのだから仕方ない・当たり前のことだと思うことで、正当化していたように思う。異星人同士で分かりあえるわけがないのだから、お互い干渉せずそれぞれ使命を果たせばいいのだと。しかし、重一郎の病気をきっかけに、大杉家は“地球人”の家族として、再び覚醒したのではないだろうか。円盤を目指して、支え合い寄り添いながら進む四人の姿は、宇宙人のようであって地球人だったと思う。同じ母星・地球に住む家族としてあるべき姿、団結して協力し合える理想的な家族像を具現していた。

異星人への覚醒を経て、俯瞰で地球人を眺め、地球人の良いところも悪いところも受け入れ、それでも「やっぱり美しいなあ」と感じることで、地球人として生きていくための強さを手に入れ再度覚醒する。無関心を捨て、手を取り合う優しさを持ち、空虚な日々から抜け出し、地球人として生き生きと進んでいくためにーーー。

 

■地球人の無遠慮な図々しさ

・レストランに到着して早々、暁子の料理を横取りする一雄(覚醒前)

・重一郎が電話をしているのにも関わらず、話しかけてきて写真までねだるミーハーな女性二人組

・勝手に一雄の写真を撮り、結局無許可で同級生に写真を送りつける後輩

上記のシーンを見て、他人なんてお構いなしといった人間の図々しさにいらっとした。後から出てきて我が物顔で地球の資源を食い尽くし、地球上の主役は人類だと言わんばかりの振る舞いを風刺しているのか。それとも、匿名性を利用し横暴な振る舞いをする現代のSNSの住人を揶揄しているのか。いずれにせよ、辟易するほどの無遠慮さにいらいらした。しかし、もしかしたら地球人であるわたしも、気づかないうちに同じような振る舞いをしてしまっているのかもしれない。そんな地球人に救う価値はあるのか。自らを省みるきっかけになったと思う。

 

■食事シーンから伝わるもの

・冒頭のレストランでのシーン

なかなか全員揃わない家族、一人ずつしか映らないカメラ割り、本人不在の中運ばれてくるバースデーケーキと、家族のバラバラな様子が言葉を使わずして伝わってきた。

・伊余子が一人、食事するシーン

生活リズムが揃わず、子供たちも手が離れ、自分のためだけに用意する食事は味気なく食べる気にならない。空虚な生活を潤すために購入した“美しい水”で作った味噌汁がどこか美味しく感じ、これがあれば家族の団らんを取り戻せると確信したのかもしれない。家族の健康を気遣い、家族の団らんを取り戻すために。“地球人”としての使命を彷彿とさせた。

・暁子が竹宮と旅館で食事するシーン

がつがつと手当たり次第に目の前の料理を食べ尽くす竹宮の食べ方は、欲望のままに何人もの女性に手を出す女たらし感が出ていて、不快に感じた。一方で、なかなか食の進まない暁子は、竹宮とは両極の存在で、本来だったら交わらないはずの関係だったのかもしれない。

・一雄が黒木と食事するシーン

まばたきもせず黙々と食事を進める黒木の姿は、本当の意味での“美しい星”を実現しようとする野望を内に秘めた怪しくて恐ろしい存在が象徴されていたように思う。そのうち本当に人間を食らって増えすぎた人口を減らしていくのではないかと。

 

■それぞれの視点

重一郎、伊余子、一雄、暁子の視点で現象を説明されるが、それ以外の第三者の視点での解説が何もないため、本当に覚醒したのかただの思い込みなのか判然としない。本当に円盤を見たのか?呼んだのか?水星は迫ってきたのか?真実は大杉家の四人しか分からない。何度映画を観ても、きっと謎は謎のままだ。でもそれでいい気がする。地球人同士だって、完璧に分かり合えるわけではないし、理解できているふりをしているだけだし、本心が見えないことも多いし、わからないままうやむやにした方がいいこともある。だから、本当に覚醒したのかただの思い込みなのか、わからないままがきっと正解なのだ。

 

■雑感

亀梨和也くんファンとしては、大杉一雄役に抜擢されたことが本当に誇らしい!これはどの役のときも言ってるけど、ジャニーズのキラキラ感や俺・亀梨!なオーラを感じさせず、大杉一雄としてそこに存在していた。覚醒前の斜に構えた不機嫌そうな表情から、覚醒後の目に光が宿って生き生きとした表情への変化がよかった。あと、冒頭と終盤で、受付での対応の仕方・され方の違いが個人的にツボ。

金星人の使命が、美の基準を正すってことで、参加したミスコン。その他のファイナリストが、同じようなヘアスタイル同じようなメイク同じようなファッションの大量生産されたTHE・女子大生という感じだった。洗練された美人が淘汰されて、みーんな同じどんぐりの中でかわいいの頂点が決められるんだよなあ。自分らしさや自分の魅せ方を知って、それぞれの美を追求できたらいいよね。あと、ミスコンといえば、藤原季節さんの軽薄な若者演技がリアルで素晴らしかった!

笑えるシーンのリリーさんの絶妙な芝居もよかったし、地球みたいにでっかくまあるくどーんと構えている母の安定感もお見事だったし、それぞれがはまり役で生き生きとしていたなあと思う。

 

スイッチの謎や、宇宙人の地球会議、環境問題へのそれぞれの意見や立場については、まだ思考が追いついていないので、じっくり考えたいなあ。